摂理人、ぺヤングとの葛藤に勝利した〜中編〜

 

「諸君 私はペヤングが好きだ

諸君 私はペヤングが好きだ

諸君 私はペヤングが大好きだ

 

立ち上るソースの香りが好きだ

味の決め手のスパイスの香りが好きだ

青のりに混ざる紅しょうがの香りが好きだ

蓋にへばりついた哀れなキャベツが好きだ

もそもそとした独特の食感が好きだ

散りばめられた謎の肉が好きだ

 

 

 

平原で 街道で

塹壕で 草原で

ゲレンデで 駐車場で

体育館で 教室で

海上で 泥中で

社長室で メソポタミア

 

 

この地上でお湯を捨てるスペースさえあれば食することができるペヤングが好きだ。

 

隊列を組み、戦友と共に占拠したラウンジの一角で、一斉に排出されるお湯の、じょぼじょぼという音が、午睡の学生たちの眠気を吹き飛ばすのが好きだ

 

 

 

ツロのヒラムの様な名工が、丹精込めて削り上げたレバノン杉の割り箸が絹のように艶やかな麺を宙に持ち上げ、麺にのこった僅かな水気を飛ばし、麺を引き締める時の立ち上る熱気に胸がすくような気持になる

 

 

 

空腹に恐慌状態のビギナーが、食べ尽くしたペヤングの容器にこびりつく青のりや麺カスを何度も何度も箸先でつつき回し、かき集める様など感動すら覚える。

 

 

息も凍る寒空の下、人気ラーメン店の行列に食べたくもないのに並び、空腹のあまり群衆のイライラピリピリが頂点に差し掛かり始めた頃、飢えた野犬の様な群れの中で唐突に、

懐からペヤングを取り出し、一人ズルズルと美味そうにペヤングをすするのが好きだ。

 

そして唖然とする人々を尻目に、行列を離れる時の勝利した感覚に恍惚となる。

 

心無い若者達が、共同の排水口に湯切りの際に麺やきゃべつのカスを詰まらせるのを見るのは悲しい物だ。

 

他メーカーの焼きそばが売り場の棚を蹂躙し、ペヤングが隅っこに追いやられるのは屈辱の極みだ

 

 

諸君 私はペヤングを望んでいる。君たちは一体何を望むか?

情け容赦のない沸き立つ熱湯を望むか?

不摂生の極みをつくし、三千世界の鴉を殺す嵐の様な添加物にまみれるか?

 

ペヤング! ペヤング! UFO!」

 

VERY VELL(よろしい)

THEN LET IT BE (ならば)

PEYOUNG (ペヤングをはじめよう!)

 

 

 

幾度目かの宣誓になるが、「私は摂理人である。」神の召しを受けてからもう16年の月日を数える。

そしておよそ3年前までは恥ずかしい話だが、およそペヤングに関しては何ら罪の意識を持ち得なかった。

2014年三月中旬に受けた、救いと天国に関しての重大な霊感を持って初めて、この手の食物を摂取することに

関して、いくばくかの罪の意識と神の悲しみの心を知るようになった次第である。

 

あのままペヤングととなり合わせの生活を続けていたならば、私の霊魂肉の健康は今頃どうなっていたであろうか。

神のたえなる愛に感謝しかない。

 

この時に下った霊感と啓示がどのような類の物であったのか、おいそれと口にすることはできない。

摂理の同胞(はらから)である兄弟姉妹たちならばあえて説明する必要もないだろう。

 

 

それまでの私は上の全文のような演説を一人垂れ流すような人間であった。言うなればペヤンガーといったところか。

(ちなみにペヤンガーにもA級からE級まで階層わけされている。)

 

ペヤングこそ我が乳であり、蜜、天上から下るマナ。血中ペヤング濃度いや高しといったところであった。

ペヤングに肉も野菜も含まれ、人間を人間たらしめる要素はこれ一つと言い張る。むしろ神のめぐみにより

地が産した陸海空の物など、人間の精神を堕落する食物としてむしろ迫害すらしていた始末である。

 

 

そんな私が神の恩寵によりこれらの食物を断つようになるのだが、そこには当然のように過去の肉性が足を

引っ張り、壮絶な葛藤が生じるのである。私は何と哀れな人間であろうか。

 

いかに過去の、肉であった私がこれらの食物を好み、慕っていたのか。

そして霊である私がこれらの物を忌み嫌い、神の命の言葉と健全な食物を欲しているのか。

 

初めに肉の恥を告白しておかなければ、今の葛藤と苦悩の深さは伝えきるのは難しい。そう思い

あえて過去の罪の告解として手ずからここに記す。

 

私は摂理人であることを誇っている。摂理人であることを少しも重荷に思っていない。

摂理人であることは時に世に戦いを挑むことであり、己の肉に対し決闘を挑むことになる。

そうして勝ち得る栄光と祝福は、今の苦しみに対し比べ物にならない物なのである。

 

 

そして、私はついに勝利する。

(つづく)