摂理人、ぺヤングとの葛藤に勝利した~後編~

 

摂理人は暑さに強い。

我々は決して広くはない神の宮につどい、多くの使徒たちと共に日夜祈りを捧る。

神への奉仕を行い、信徒たちの交わりをなす。

 

神は人の切なる祈りに応え、熱い火の様な感動と共に聖霊がくだされる。

聖霊を受けた者は熱くなり、陽炎が立ち上り、松岡修造を凌ぐ熱量の塊がそこかしこに点在する。

 

それは小さな太陽か、明けの明星か。

 

信仰とは熱さ。火の様な聖霊は内奥の篝火(かがり火)となり全ての罪を焼き尽くす。

そして新たにされた霊と魂は、命の道を主の中に見出すのである。

 

 

摂理人は乾燥に弱い。

多くの時間を信仰の兄弟達と共に過ごし、愛し、仕え、訓戒し、同胞(はらから)である存在の中に働かれる生きた神を見出す。

 

神は人を通しても働かれるのだ。

そういう交わりの中に一人、風邪の菌に罹患した者がいるならば、どうなるであろう。

 

結果は火を見るより明らかである。

 

体調管理は自分のためでもあり、兄弟、教会、引いていは歴史の為となる。決して軽んじてはならない。

 

これを要約するならばこうである。

 

「摂理人は暑さに強く、乾燥に弱い。摂理人は罪に強く、主の前に弱い」

 

我らの主はほむべきかな。主の前に自らを誇らざる者は、幸いな者である。

 

 

こうしている内に、部屋の片隅でヒュルヒュルと音を上げ、蒸気を吹き出すT-fal(ティファール)。

 

乾燥を防ぐため、部屋の加湿のために使われているのであって、決してペヤングに注ぐお湯を沸かしているのではない。

 

乾燥すると私の唇はたちまちに荒れ、ひび割れる。

 

これは、この事を通し湿度に気をつける様、神が私を悪魔が打つがままにさせているのである。

ならばみだりに唇にオリーブオイルなど塗ってはならない。

 

 

ちなみにこのT-fal(ティファール)、下部が酷く融解し、焦げ付いている。

 

それは、私の後輩にあたる摂理人が用途を勘違いをし、直にコンロの火にかけてしまったからである。

 

この様なロックンロールなミステイクをもって、聖書も夢も啓示も正しく解かなければ災いとなる事を、神は教訓として私に示してくれた。

 

万物の間違った用途の行き着く先は、死である。

無論私だけでなく、全ての摂理人は彼のT-fal(ティファールを直火にかけた後輩摂理人を罰してはならない。

 

七の七十倍同じ過ちを繰り返そうとも、ただ許すのみである。

 

それにしてもこの、蓋を開けたペヤングの、時が来れば湯を注ぎ、その麺もかやくもしぼまぬ様の、何と罪深いことであろうか。

 

ましてや、超大盛りの麺が二つ並ぶ姿形は、ナフタリの子鹿が二頭ならんで泉のほとりで戯れている様である。

その光景を前に私は、思わず節制の誓いを破りそうになる。

 

 

偶々(たまたま)そばに折りよく蒸気を吹き上げるT-fal(ティファール)があり、その中には充分な量の湯が沸き立っているとする。

 

偶々、いつもストックしてあるリプトンがこの日に限って切れていたとする。

 

どこにも注がれる事なく、誰の罪も洗い流す事なく、蒸発霧散していく湯の、なんと哀れな事であろうか。

 

 

注ぎ給え

 

熱き聖霊を、火のような聖霊を我に。

 

注ぎ給え

注ぎ給え

 

 

そうして湯がペヤングの中に注がれていく。湯が四角い容器の中に満ち満ちていく

 

水が海を覆うように、麺を湯が覆っていく。

 

そしてそれは、主の真理と栄光、愛が全治を覆い、溢れ出す事を起草させる。

神はあらゆるところにおおせられ、心をむけるならたちまちに平安で満たしてくださるであろう。ハレルヤ。

 

無論、湯が容器から溢れ出るほどに注いではならない。蓋が締まらなくなってしまうからである。

 

 

 

ここまで散々、聖霊について書き記した。

はたしてこの聖霊について詳細を語ることは、神の奥義に内包されることであり、定められた時と場所によってしか、証す事は神が許諾しないであろう。

 

ただ言うならば、聖霊は良い物である。

救いのために、勝利のために、この時代において欠かす事のできなない物である。

 

ある者は聖霊によってその罪の道を翻し、ある者は聖霊によってそのなすべき事を知る。

ある者は聖霊により新しくされ、ある者は聖霊により勝利を得る。

 

湯が硬い麺をほぐすように、聖霊は頑なな心を柔らかな物とする。

 

よって我々は日々聖霊を呼び求め、何とかして聖霊の声を聞こうとする。

 

 

さて、私は手ずからペヤングの蓋を開けてしまった。

 

それは意図した物であったのだろうか。私の右手が、左手に隠れてしたことであろうか。

いずれにせよ私の前に罪がその口を開けて待ち受けている。

 

ならば私もより一層切実に聖霊を願おう。それはこの艱難に打ち勝ち、さらなる栄光を受けるためである。

 

 

我々に残された時間は、後三分・・・・・

(続く)