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会社のために自分を犠牲にするのは間違っている

はじめに

こんにちは、Boxです。

最近電通の高橋まつりさんが亡くなった事件で原因は過労死だと認定され、とても話題になりました。

電通」「東大」「美人」「新卒一年目」

っていう何ともメディアが取り上げやすいキーワードがたくさんあったのでこれだけ注目されたわけですが、日本では年間の自殺者は約30000人います。

まあここらへんのことはいろんなメディアもブロガーも取り上げていることなので、あえてそこで同じような議論はしたくはありませんが、今日は「会社のために個人を犠牲にする」っていうことに対して思うことを書いてみたいなと思います。

スタンスはタイトルの通りですが、会社が個人に勝つってことはありえないし、あってはならないと思っています。

すべては個人ありきです。個人の幸せ以外にこの世界が存在している意味はありません。

会社より相対的に弱い立場の自分の価値

会社に入ると、会社の方針に従うことになります。

上司が右と言えば右だし、社長がリストラと言えばリストラだし。

これはある種当たり前のことではあるし、それ自体は否定はしません。

でも問題なのはそこではない。パワーバランスと選択の自由の話です。

会社には明確な上下関係が存在します。特に欧米の企業と比べても日本は大企業、中小企業問わず上下関係に縛られます。

摂理にもいろんな職業の人がいて、僕はITなので業界の中ではかなり理不尽が少ない方だと思うんですが、商社とかゴリゴリの営業会社の話を聞いていると本当に信じられないことばかり。

上司とか取引先のおっさんのご機嫌を取ったり、言うことを聞いたり。それはまだしも、時には「それ完全にパワハラだろ」と思うことが多いです。

摂理の人は信仰の理由でお酒を飲みませんが、それを面白がって飲ませようとしたり、エスカレートすると「俺の酒が飲めないのか」というトンデモ上司も実際にいるようです。

 

僕は理不尽が大嫌いで、「この世から理不尽を無くす」っていう理念の会社を創りたいくらいw

でもこんな理不尽はまかり通っているし、会社の中にいるとそれが理不尽だと思えないものなんですね。

自分の評価を握っている上司にはどうしても逆らえないし、一歩間違ったらもう出世ができないかもしれません。

一つの会社で働いていると「その会社での評価=自分の価値」みたいになっていくので、会社の望まないことをやって自分の評価が下がるというのは、自分の価値そのものがなくなるように感じられるものです。

「会社のためにプライベートを犠牲にするのは当たり前」
「社会人なら自分のやりたいことではなく求められることをやるべきだ」
「社会をなめてるのか。みんなそうやって自分を犠牲にして成長してきた」

確かにそれは一理あると思います。でも万人に共通する真理ではありません。

自分はその言葉を口にする人のようになりたいのか、そうではないのか。

なりたいならその人の言うとおり、とにかく会社のためにすべてを犠牲にして上っていけばいいと思います。

ももしそうじゃないなら、つらいと思っているなら、もう限界だと感じているなら、自分の気持ちに嘘をついて会社のために生きる必要はありません。

一歩引いて考えてみたら会社ってほんと何でもない

日本に会社がいくつあるか知っていますか?

400万社です。

自分が働いている会社はそのうちの1つです。

1/4000000

です。

空の星、海の砂ですよ。マジで。

 

その一つの会社のために、自分を犠牲にして我慢してるのってバカバカしくなってきませんか?

いくらでも代えはあります。

自分の上司が嫌なら、部署異動を希望してみたらどうでしょう?

いくらでも、とは言えなくても代えはいるんじゃないでしょうか。

今はその会社の構成員になっていますが、その会社がないと自分の人生は終わるのか、と聞かれると終わることはありません。

というかその会社もたまたま出会って、たまたま応募して、たまたま合格して、たまたまその部署になって、たまたまその上司になって、基本的にたまたまの連続だと思います。

そんな風に巡り合ったものに自分の人生を左右させるべきではありません。

もちろんそんな風に巡り合ったからこそ、かけがえのない経験や、気の合う仲間、社会で働くことの甲斐などを感じられることも多くあると思います。

まあ、簡単に言うと恋愛と同じですよね。

女の人って日本に7000万人くらいいるわけですよ。

恋愛対象になる女の人を絞っても1000万人くらいいると思うと、今の彼女に人生を振り回されるのはおかしいと思ったりしますよねw

でも付き合ってると、自分を犠牲にして頑張っている人って結構多い気がするんだよなぁ。

キャリアにおいても会社に縛られていると転職の足かせになる

まさに今僕も葛藤しているところではあるんですが、日本は法的に転職の自由は認められているものの、どうしても会社からの圧力があるのはどこも同じなんじゃないかなと。

「お前1年で辞めたらどこも雇ってくれないよ?」
「どれだけお前に投資してきたと思ってるんだ!ふざけんなよ!」
「十分に結果も出してないのに他のところにいっても同じだよ」

確かにそうだと思うケースもあるんです。

例えばうまくいかないのを全部会社のせいにしてやめる、それを繰り返している人はきついですよねぇ。

恋人と3ヶ月も続かないのが5人続いたら、ほぼ間違いなくその人に責任がある気がします。

会社も同じ話で、「この会社はここがダメ」「この会社はここが自分と合わない」なんてずっと言っている人に仕事は任せられないですよね。うん、それはそのとおりだと思います。

でも明らかにダメ男とずっと付き合っている必要性はどこにもないわけで、しかもそれで自分の人生が負の方向に向かっているのであれば、もう思い切って断ち切るのが利口ですよね。

 

結局いちばん大事なのは「自分が幸せ」かどうか

もう極論、人生はこれだけです。

幸せになることをしませんか?ってこと。

それは人によって違いますが、僕は幸せというのは、やりたい放題やることでもないし、楽をすることでもないと思う。

幸せっていうのは「自分の自由意志で選択する」ってことだと思うんです。

一切のしがらみを捨てて。

納得できる自己犠牲とそうじゃない自己犠牲があると思うんですよ。

納得できるっていうのは「自分の意志で選択をしている」ということ。

ももしそうじゃなくて、明らかに違和感を感じていたり、健康を損したり、心に傷を負ったり、フラフラになりながらも自分を責めて会社のために犠牲になっている人がいるなら、それは自分のためにやめてあげてほしいです。

自分は幸せになるために生まれてきたのであって、会社のために生まれてきたのではないということ。

最後に

なんか思いつきで記事を書いてしまって、最初はただ考察をしようと思ったんですが、途中から悩んでいる人への説得する文章みたいになってしまったw

僕はわがままを肯定してるわけではないし、それが社会に浸透したらやっぱりそれは問題だなと思うんです。

日本の村社会、コミュニティーに個が帰属する社会っていうのはいい面もたくさんあります。

でも、やっぱり個人が幸せになった上でのコミュニティの繁栄であるのは間違いない。

コミュニティのために個人が犠牲になって潰れた上で繁栄したとしても、それは虚栄であって真の意味での価値とはまったく違うということですね。

まあ誰かを説得しようと思って書いたわけではないですが、もし会社のために自分を犠牲にし続けてきた人がこの記事を読んで、何かを感じて幸せになる選択をしてくれたら嬉しいなぁ。